2012年3月7日水曜日

明日には夢叶う?


いろいろと物議を醸し出している

およそ「あきらめなければ夢は必ずかなう」ほど悪質な言説はないと思う。こういうコトバが幅をきかすと夢を途中であきらめる若者は「夢がかなわなかったのは私が途中であきらめたからだ」という自責の念をしょいこまなければならなくなる。

から始まる一連のツイートです。
以前山田太一さんも同じような事(頑張れば夢は叶うは幻想、傲慢)を言って問題にされていましたね。

当たり前ですがどのレベルの夢かってこともありますが、この場合は漫画家とかある程度特殊なポジションの人たちの話しです。
漫画家とか野球選手とかの場合、才能もあって、努力もしてあきらめないでそれでもなれるかどうかわからない。それをその道のプロでもなんでもない親やまわりが「あきらめなければ夢はかなう」なんて無責任だとは思う。ってことではないでしょうか。

本人が納得して努力してるならそれでいいとは思います。
難しいのはやめ時。ぎりぎりまで頑張ってだめならとかやれるとこまでやってみてとは良く言われますが、では”ぎりぎり”とは”やれるとこまで”とはいつまでなんでしょう...
モーニングの名物編集長で多くの有名漫画家を育てた氏が放つ言葉の持つ意味は重い。

むしろ氏が言いたかったのはこちらだと思う

周りにどう言われようと自分の才能を信じることも大事。そう思える人はあきらめずにがんばってください。でもそう思い続けるのが困難になったとき、別の道をさがすのはちっとも悪くない。というか、さがしなさい。自分の人生なんだから。

「あきらめたらそこでおわり」という安斎監督の名言が挫折を挫折と感じさせず、ずるずると引き際を見失って亡霊化している漫画家志望、ミュージシャン志望、カメラマン志望etc...
引き際の美学を語る名言があるといいんですけどね。
興味深い事に同じ作者である井上雄彦が描いているバガボンドではあきらめろと説いてるんですね。この矛盾こそが夢を追うという事なのかなと思ったりまします。









ちなみに上記の山田太一さんも下記のようにおしゃっています。
”「そんなにうまくいかないのが普通なんです。その普通がいいんだと思わなければ、挫折感ばかり抱えて心を病んでしまう」”
”「僕は一握りの成功者が『頑張れば夢はかなう』と言うのは傲慢だと思っています。多くの人が前向きに生きるには、可能性のよき断念こそ必要ではないでしょうか」”

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そしてこの一連のつぶやきに対して多くの漫画家が反応しました。むしろこちらの方が面白いです。


少しだけ抜粋してみます。


鍋島 雅治(築地魚河岸三代目、東京地検特捜部長・鬼島平八郎他)

アカウント: @SANNDAIME29

いわんとする事はよくわかるとした上で:
ある程度は頑張らんと向いているかいないかさえもよう分からん

”また、ちなみに、いわゆる夢を叶えた成功したと世間で言われる人達に成功の理由の本音のとこを聞くと「努力したから」「諦めなかったから」とは言わない。「運が良かった」という人が多い。それは彼らが自分以上に才能があり、自分よりも努力したのに目が出なかった人をいっぱい見ているからだ。”

”それは彼らが「運任せで、頑張らなかった」という意味ではない。運も努力できる事も、その人の才能であり性格であり実力なのだ。 そして、その「運」の確率を上げる方法は、打席数を増やす事であり、実力をあげる事、そのためには努力しかない。のも事実なんだよね。さ、俺も頑張ろう。っと。以上。”

これはもう禿同です。私が常々思っている事を端的にまとめてくれています。




安永航一郎(巨乳ハンター他) 

アカウント: @zuboc

”『クリエイター志望者必見の至言』みたいに褒め上げる向きもございますが、『宝くじは買ったからといって当たるとは限らない。でも買わないと絶対当たらない』『宝くじに全財産つっこむ前に気付け』とおっしゃってるだけです。”

至言ですね。


喜多野土竜(Manzemi他)
アカウント:@mogura2001
”鳥山明先生とか、仕事辞めてブラブラしてる時にジャンプの漫画賞を見て、コレなら楽勝と思って応募して、実際に楽勝だった訳で。才能ある人は、だいたい投稿3作以内でデビューしちゃう人がほとんどな訳で。苦節何十作というのは少数派。自分がデビューに関わった漫画家は、9割が立直一発ツモでした。”

これが現実なんです。天才は本当に天才なんですよね。





ちょっと違うたとえかもしれませんが、某有名プロダクションのスカウトの人から聞いた話しです。
スカウトされてデビューする子はほとんど原宿に初めて来たときに声をかけられているそうです。つまり渋谷とか原宿に何度も行ってスカウトをされないというのはやはりプロの目から見て光るものがないってことだったりする。私のまわりでも終始、いい子いない?いい作家いない?いい○○?いいXX。。。とそれこそ鵜の目鷹の目で才能を探しています。それでもどこにも引っかからないというのはやはり資質に問題があると言わざるをえない。そうしてようやく入り口にたてたとしても売れるかどうかわからないし。売れたとしても何年にも渡って続くとは限らない。徹底的に冷酷で残酷な世界なんですよね。

そんな中でどこで見切りをつけるかは難しい問題です。やはり本人が納得がいくまでとしか言わざるをえないでしょうね。まわりの大人が安易のこの言葉を口にして追い込むべきではないとしみじみ思うんです。

なんて言っておりますが私は年末のブログでこんな画像を貼っています。

今年を振り返って

Winners Never Quit
Quitters Never Win 
by Vince Lombardi

勝者は絶対にやめない。
やめる奴は絶対に勝てない。

そしてこんな言葉も思い出してしまいました。
小学校の頃に何度も書かされました。

為せば成る為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり 
by 上杉鷹山


人間とはかくも矛盾を背負って生きているものなんですね...



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ちなみにちょっと古いですが島田編集長が以前つぶやいた編集論が好きです。
私はこれをみて氏をフォローし始めました。
アカウント:@asashima1


”ある作品をある作品と並べたとき、単独で読んでいたときとはちがった見え方をしてきます。一見共通項のない10本の作品が、ひとつの場に集まるとそこに新たな意味があらわれてくる。”

”これが「編集」という作業のひとつの本質ではあると思う。自分で雑誌一冊編集してみるとつくづく体感できる。単純といえば単純な作業だけど、「集めて並べる」ってのは実はそれだけである程度創造的な行為にもなりうるってこと。”

”出版社の既得権益の話がよく出るけど、流通の話だけじゃなくて「編集権」も既得権益。これから一般読者もいろんな意味で「編集」ができるようになりうる。それを門戸開放したがるとことしたがらないとことが出てくるだろうけど。”

”「仮に出版社がなくなったとしても編集という職業はなくならない」という議論があるけど、そんなに単純なもんでもないかもしれない。編集という「作業」はなくならないだろうが「職業」としては成立しなくなる可能性はあるでしょう。
これから「編集者」をやりたい若い人はそのへんのことまでよく考えてほしい。でも、ほんとに好きなら「職業」になろうがなるまいがやればいい。ほかのことでメシ食いながらやるなんてスタイルも出てくるでしょう。”

”それと状況がどうなろうとそれをどうにかしてマネタイズしていく方法はある。一番言いたいのはそのことです。プリミティブな意味での「編集」が成立しなくなってくるなら、「編集」概念そのものをもっと進化させればいいってこと。
だから今まで以上に「誰も考えつかなかったやりかた」ってのが重要になってくるってわけ。ここまで読んでそれでも編集者になってみたい人はぜひ目指してみてください。そういう人が新しい編集者になっていくのでしょう。”


追記

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